「朝比奈現象」:朝比奈さんの最晩年の演奏の報道姿勢について


朝比奈さんの最晩年、とくに東京での演奏会は、いつも超満員、演奏後は、オケが去ったあとも朝比奈さんひとり舞台に呼び出して、長々と拍手していました。

これ、一般参賀といわれていました。この現象は、カール・ベームのウィーンフィルの来日公演からのような気がします。それ以前にもあったかもしれませんが。

そして、報道では、こういった現象がよく取り上げられていました。

これ、「朝比奈の音楽」ではなくて、「朝比奈現象」といった扱われ方です。

実際、私は、ある新聞社から朝比奈ファンとして取材をうけたことがあります。そのとき、朝比奈さんの音楽についていろいろ話したのですが、その記事のトーンは、朝比奈現象になってしまっていました。同時に取材をうけた友人もおなじ不満をもらしていました。

じっさい、第三者的にみると、そのようにみえるのは、仕方ないかもしれません。私も1980年のカテドラルの最終公演、間に合わなくて、到着したときは、拍手喝采の真っ最中。それが教会でしたから、宗教団体の行事にいるような気分になりました。

しかし、実際演奏がおわって、その日の感想をもとめると、みな冷静に音楽を聴いています。朝比奈さんの演奏の魅力というのは、みな遠慮せず、だしたい音をだすことからする開放感と満足感というか非常に幸せを感じることです。それもありますが、出来不出来の落差がはげしく、人間的な魅力ということを言う人もいます。しかし、不出来のときは楽しくないです。うまくいったとき、それはすばらしいです。

実際、この音色は、ボーイングの統一など、それを守り続けた成果といえるもので、職人芸の積み重ねです。

それと、何度も同じ曲をよって、その都度アプローチが違うのもおもしろいです。

年末の第九、2回やりましたが、はじめて2日つづけてやったとき、私はステージで歌いましたが、1回目は、78分、2回目は69分で、スタイルも筋肉質、これは演奏後の打ち上げで、どちらがいいか、とすごい議論になりました。

大阪フィルの技術がどうのこうの、という議論、よく出てきます。

最近、だいぶよくなってきましたが、私が大阪フィルと接してきた時間に、大きくかわりました。昔は下手だったという話でてきます。しかし、いま、昔の録音を聴いて、おもったより下手ではないのです。

音楽をききはじめると、乗った演奏だったら、その技術的な難点、めだたなくなります。慣れてしまうのです。聴いている最中は、ほかのオケの音色とくらべるという作業は、ほとんどやらないでしょう。音楽に没頭するでしょう。

朝比奈さんの音楽というのは、そういう世界にひたる楽しみがありました。

長い朝比奈ファンの場合、そういう積み重ねがあるので、ちょっと独特な世界があるのだと思います。

そういう現象からすると、どうも宗教的な色彩が感じられるのでしょうね。

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