【書評】中丸美繪著 オーケストラ、それは我なり―朝比奈隆 四つの試練


ちょっと前に出版された、朝比奈隆の評伝。中丸美繪著。独自の視点から書かれたユニークな朝比奈伝であり、なかなか読み応えのある本である。

いままで出たものとはかなり視点がちがっており、人間朝比奈隆のさまざまな面を描いている。とくに、4つの試練という章立てで、各時期のいろいろな試練を、かなり冷静な目で見ている。本人を含め、たくさんの人のインタビューにもとづいて、書かれている。

いままでの、朝比奈シンパの書いたものと違う点は、かなり人間として負の部分に言及していることが特徴である。何か非常に暗いトーンの文章だが、一気に読んでしまう。

まず出生の秘密や幼児体験。出生については、朝比奈本人が、日経新聞の私の履歴書で書いているものしか知られていないと思うが、実の両親についてはじめて言及されている。朝比奈の親が、実の親でないことを知ったところなどは、私の履歴書にも出てくるが、それ以上は出てきていなかった。これが、音楽家になるいとつの原因であることを示唆している。

大学時代の話についても、初めて書かれたものだと思う。メッテル先生は、世界的に見ても超大物だったようなのだが、その点については、最近はけっこうあちこちで述べられている。当時、日本には、戦争のために、他にもクロイツァーをはじめ、大家が来ている。これは別に日本だけの話ではなく、多くのユダヤ人音楽家が、アメリカに移っているのも戦争のためである。ブルーノ・ワルターしかり。だから、メッテルに音楽を叩き込まれたというのは、実は、相当レベルが高い音楽教育を受けているということなのである。ただ、物理的なテクニックについては別かもしれない。

上海、ハルピンについては、最近いくらかの資料が出てきている。また
関西交響楽団の設立、大フィル設立の経緯等も、大阪ではけっこう知られていることかもしれない。

最後の大阪フィルの経営問題については、大阪にいる、または縁のある人間で大阪フィルの近くにいた人にとっては、比較的よく知られた事実。その時期、朝比奈さんは、東京での活動があったので、けっこう支えになったのだと思う。大阪と東京では、演奏会の盛り上がり方が違っていた。

朝比奈さんの晩年というのは、その多くが、東京の若者ファンによって支えられているところが多い。彼等は、大阪の苦労した時代のことには、基本的に縁がない。最晩年、大阪でのコンサートも、東京からたくさん聴きにきていた。だから、朝比奈さんの今までの伝記については、ほとんどが、この暗い時期については、あんまり話題にされていないのだろう。

最後の健康問題。はやくから、癌であったという。実は、名古屋公演後入院してしまったときに、公式では元気だということだったが、その当時、大阪で、合唱団メンバーと偶然会って聞いた話では、過労ではなくて、重い病気だということだった。また、私の聴いた最後のブルックナーの9番のときは、もうやせこけていて、衰えが激しかった。最後の名古屋は、友人が行っているが、もう振っている状態ではなかったという。癌については、その後千足氏が、ある本で食道癌で食べることができなくなっていた、と書いていた。

この本、朝比奈芸術は、技術はないが、教養に支えられた、という面を強調している。ただ、音楽的な実際については、そういう話は練習にすることはなくて、きちりと音を音符どおりの長さと強さで出す、ということに終始していた。その姿に教養がにじみ出ているという感じではなかった。

また、オケの音色としては、指揮の技術はともかく、むしろパート譜上に記載された彼独自のボーイングによるところが大きく、そういった面についての記述は、ボーイングの特徴についてはあるのだが、パート譜には言及されていない。彼は、実際の練習の積み重ねをつねにパート譜に反映されているのであって、そういう音楽的な職人芸の積み重ねがある。こういう面は、あんまりこの本には出てこない。

実際、私が学生のときに、朝比奈さんの棒で何度も歌っているのだが、リハーサルのときには、背景の説明なんか聞いたことがなく、ただただ、正確に音を出すことだけだった。ただ、できるまで何度も繰り返し。大フィルの合唱団は、専属団体だったから、朝比奈のおっさんの練習は、なかなかきびしかった。練習ピアニストにも容赦なく要求するものだから、泣き出してしまうこともしばしば。
合唱団の練習は、当初千足氏だったが、この本で千足氏本人が認めているとおり、彼は適任ではなかった。その後、千足氏がドイツに留学し、指導者が変わって大フィル合唱団の実力も向上したのである。

我々音楽ファンとしては、朝比奈さんは、海外でたくさんのオケを指揮し、ベルリンフィルにも登場しているが、最後の方は、二流、三流のオケばかりである。この理由について、かつて大フィルの事務局の人に教えてもらったことがあるが、それについては述べられていない。

だから、この本、人間朝比奈隆評伝である。その意味でとても興味深く呼んだ。
音楽的、技術的なところについては、やはり朝比奈シンパの本もあわせ読むべきであろう。

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