ドヴォルザーク スターバートマーテル 朝比奈隆 大阪フィル 1974年 

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大阪フィル合唱団のデビューコンサートである。このLPには、ベートーヴェンの第9の第4楽章がフィルアップされている。この演奏は、大フィル合唱団としての最初の第九のライブである。ドヴォルザークの演奏のときは、最初に未完成が演奏された。

私が、大フィル合唱団に入ったのが、この団体の創立のときで、1974年4月である。ちょうど、大学に入学したときである。この前の年に、第九合唱団として公募をしていたが、私は浪人中だったので、自重していた。大学に晴れて合格したので、入団したのだ。当時、オーディションはなく、誰でも入れたので、500人もいた。その後、ふるい落としのオーディションがあったが、私は幸い一軍だった。

大フィル合唱団は、朝比奈ファンのかたまりである。朝比奈さんの指揮で歌えることを至上の喜びとする人たちばかりである。最初に取り上げた曲は、この曲だったが、私は、はじめて聴く曲だった。

この演奏、まだ声にまとまりがない。当時の練習は、朝比奈のオッサンの長男がやっていたが、この人声楽の専門家でもないので、いろいろ大変だった。そのことは、後年、本人の告白がある。中丸さんの本、オーケストラ、それは我なり-朝比奈隆 四つの試練にその記述がある。

何にしろ、これで、大フィルのコーラスが始まったのである。朝比奈さんは、コーラスつきの大曲をやりたがっていたが、いつも合唱団の頼むのが大変だったらしい。それで、自前で持つことになった。この団体は、寄せ集めで核がなかったので、アサヒコーラスを吸収して、その核としたのである。このアサヒコーラスの出身者は、本当に熱心で、今でも現役でがんばっている人がけっこういる。大フィルだけでも35年間である。一番の親分格の方は、朝比奈さんよりも早くに亡くなってしまった。この方が入院したとき、朝比奈のオッサンは、見舞いに行っている。すごく親しい古くからの同士なのだ。

この合唱団に入った意義は大きく、私は、朝比奈のオッサンと個人的なつながりをもつことができたのである。まだ、そんなに全国的に有名になる前だったし、私はオッサンの大学の後輩だったので、かなりいろんな接触を持つことが出来たのである。オッサンをけしかけて、コンサートで取り上げてもらった曲もある。マーラーの6番だ。パーティのとき、散々けしかけた。オッサンに絶対合っているから、やってよ。それが直接のきっかけかどうかわからないが、影響はしていると信じている。

大フィル合唱団の実力が飛躍的に向上するのは、朝比奈さんの長男が去って、秋山和慶指揮でカルミナブラーナをやったときである。そのときの練習は何と手塚幸紀氏。この年は、手塚氏がベートーヴェンの第九もやったのだが、このときの成果もたいへんなもので、その年の朝比奈さんのビクターのレコーディングの演奏は、この手塚氏の練習による貢献度が大きい。

このレコードは、大フィル合唱団の出演料かわりに、制作されたものである。基本的には出演者に配ったのであるが、演奏会などでも売られていた。音質は、そんなによくはない。

意図的に音を落としているかどうかわからないけれど、ブルックナーの0番の日本初演のとき、シューベルトのミサ曲第5番をやった。このシューベルトも自主制作盤があるが、同じ日の公式録音のブルックナーがものすごくいい音なのに、シューベルトは貧しい。同じ機械を使っているんではないのだろうか。テープの回すスピードから違うのかもしれないが。

ちなみに、この第4面の第九であるが、大フィル合唱団として、最初の第九の演奏である。私はこの演奏ではじめて第九を歌ったのであるが、ものすごく感動した。とくに、最後のアッチェルランドは、まるでフルトヴェングラーのような演奏だったが、もう鳥肌がたった。そして、大歓声。これは一生の記念になる演奏会だった。演奏の質は、その後のビクターのレコードになったものの方がはるかにいいのだが。

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