いまは、大阪フィルの練習場は、天下茶屋ちかくにあり、ちゃんとした専用のホールをもった、すばらしい施設である。
ここは、もと南海電鉄がもっていた土地で、寄付したのである。
企業としてのフィランソロピー活動として、史上最高のものではないだろうか。
この写真は、2011年3月13日、地震直後私が大阪のこの場所で所用があったため行ったときに写したものである。思えば、この日は、東京の交通機関はちゃんと動いていた。計画停電の話は、この日の夜にはじまる。
大フィルと南海電鉄の関係は長く、毎年1月に南海コンサートといって、必ず同じプログラムでの演奏会があった。「皇帝」と「新世界から」である。
すばらしい響きをもったホールでは、コンサートも行われ、またレコーディングも行われている。
朝比奈さんのキャニオンの録音で、ライブでないものは、ここで録音されている。
また、私が以前所属していた大阪フィル合唱団の練習もここで行われている。以前は、中央公会堂だった。
大昔は知らないが、この大阪フィルハーモニー会館が出来る前、大阪フィルの練習場は、扇町プールの建物にあった。ここは、プールだから、湿気も多く、大変な場所である。また、柱も多くて、指揮者のみえないところもある。
大フィル合唱団も、ここで練習することがあったし、オケのリハーサルで見学にも行ったので、何度も行った。
ここで興味深いのは、指揮台に小さな電子オルガンがついていることだった。これで。オケのピッチあわせにつかったのだ。当時、大阪フィルのピッチはあっていなかった。こういう苦労をして、だんだん上手になっていったのである。
その成果は、最初のヨーロッパ演奏旅行の前、定期演奏会でブルックナーの交響曲第7番を演奏したときに、はっきりと感じることができた。ピッチがそろい非常に音がきれいになっていた。
そして、ヨーロッパに行って、あの奇跡の聖フロリアンの演奏が生まれるのである。