指揮者の仕事 朝比奈隆の交響楽談 朝比奈隆/著

明治、大正、昭和、平成の時代を貫き、オーケストラと共に九十三年の生涯を歩んだ不世出の巨匠が、指揮、音楽、生き方の真髄を、愉しくも真摯に語った、とびきりの芸談集。
目次
1 朝比奈隆の音楽ばなし(音楽の楽しみ方、楽しませ方
指揮者の仕事 ほか)
2 私の歩んだ九十三年(私の歩み、N響の歩み
大阪フィルとの半世紀
ブルックナーの世界
『第九』を語る
芸は七十から・対談 桂米朝・朝比奈隆
吹き流されるような半世紀)

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朝比奈隆すべては「交響楽」のために 岩野裕一/著

朝比奈隆、生誕100年記念出版(1908‐2001)。その人生は、日本のオーケストラ史そのものであった―。晩年のマエストロを熟知する著者が愛情込めて活写したアサヒナ・ワールドの真骨頂。
目次
第1章 朝比奈隆を知る
第2章 朝比奈隆と旅する
第3章 朝比奈隆を聴く
第4章 朝比奈隆を想う
第5章 朝比奈隆と語る
第6章 朝比奈隆の跫音

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朝比奈隆のすべて 指揮生活60年の軌跡

わが国が誇る世界的指揮者、マエストロ朝比奈隆の生い立ちから今日までの足跡を語るとともに、その芸術の在り方を多面的に詳述した決定書。
目次
第1章 わが人生(たどり来し道
わが回想の日々―演奏旅行のつれづれに
中国・満州時代の朝比奈隆覚え書
悠揚のシンフォニー―朝比奈隆の肖像
螺線の山登り―わが半生と音楽)
第2章 音楽論(朝比奈隆、芸術の真髄を探る
朝比奈隆の芸術
指揮者から見た作曲家と作品論
「第九」の魅力を語る)

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楽は堂に満ちて (1978年) (私の履歴書) 朝比奈隆著

日本経済新聞に、1978年に掲載された連載を単行本にしたものである。

朝比奈さんの自伝で、これではじめて知った話も多い。

朝比奈家の養子になったこと、実の母親とかお姉さんとか、養親がなくなってはじめて血縁があると知ったとか。
フロリアンのことも書いてある。

今は残念ながら絶版であるが、古本でけっこう入手できる。

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朝比奈隆のオペラの時代 武智鉄二、茂山千之丞、三谷礼二と伴に

朝比奈隆のオペラの時代 武智鉄二、茂山千之丞、三谷礼二と伴に

日本オペラの黄金時代を築いた朝比奈隆。いつ頃からオペラの指揮を始めたのか。どのように“武智オペラ”が生まれたのか。三谷礼二演出のオペラとはどんなものだったのか。朝比奈隆のオペラの時代を振り返る。

朝比奈さんは、昔は、けっこうオペラの指揮をしていた。
イタリアのものが多かったが、スタンダードナンバーをよくやっていた。

私が見たのは、ヴェルディの椿姫。
関西歌劇団。オケは、大フィルである。

すごいのは、日本語の訳詞であること。
その翻訳を朝比奈さん自ら手掛けていることである。

晩年はオペラといえば、新日本フィルのニーベルンクの指環であろうが、あれは演奏会形式だった。あと、フィデリオ。

椿姫は、タイトルロールがダブルキャストで、表が樋本栄、裏は、栢本淑子だった。私の高校の後輩でオペラを学んでいる方の師匠ということで、栢本さんの方を聴きに行ったのであった。

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朝比奈さんの最後の演奏会 2001年10月24日 @愛知県芸術劇場コンサートホール

追悼文集

ヤフオクで出品されています。(すでに終了しています。参考情報)

  ↓ ↓ ↓

朝比奈隆 追悼文集

朝比奈さんが亡くなったとき、熱心なファンは、まるで、身内が亡くなったときのように深く悲しみ、そして大粒の涙を流した。

朝比奈さんのコンサートがあれば、いつもかけつける仲間が多数いて、いつも顔をあわせていた。彼らとは、いつもコンサートのあとにのみにいってもりあがったものだ。そういう仲間も、朝比奈さんが亡くなって、会うこともなくなったのだが、どうしているだろう。そういうすばらしい出会いもつくってくれた朝比奈さんに感謝しつつ・・・。

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朝比奈隆、生涯最後の演奏の記録である。

2001年10月24日、愛知県芸術劇場コンサートホール。

朝比奈さんの最晩年は、ブルックナーとベートーヴェンばかりだったのだが、最後は、神様のいたずらか、デビュー曲だったのである。

このCDは、一般発売されていない。

大阪フィリハーモニー協会が発行した「朝比奈隆追悼文集」の付録としてついているものである。

私は、この実演を聴いていない。

たしかに、この1ヶ月前に、大阪で行われたブルックナーの第9番の演奏会では、もうひどくやつれた姿を見せて心配していたのではあるが、みんな朝比奈さんは、ストコフスキーより長生きするとしんじていたから、まさか大阪の最後になるとは思わなかった。回復するだろうと思っていたのである。

また、この名古屋と同じプログラムの演奏会が、その直後に大阪でも予定されていたので、安心していた、ということもあった。

ところが、朝比奈、ヴァントのおっかけをしていた友人から、音楽仲間のメーリングリストに気になる情報を配信してきたのである。
あまりに生々しく、すばらしい文章なので、引用する。

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Date: 2001年10月25日(木) 午前2時51分
タイトル: 今日の朝比奈

先ほど名古屋の大フィル名古屋公演から帰ってきました。
今日の朝比奈さんは、もう歩くこともままならぬ状態でした。大変心配です!!!!
!!!

1曲目のチャイコのピアノ協奏曲に入場するときから、顔色悪く、やせてしまってタキシードがダブダブで、足取りもふらふらでした。いつもは演奏の前に散髪に行ってちゃんとしているのに、きょうは髪が伸びたままなのも異様でした(ひょとしたら、病院から直行してきたのではないか、と思いました)。 もうすっかりヨボヨボのおじいちゃんになってしまったとの第一印象。 まるで数年前来日した95歳の指揮者ムーシンのような感じでした。

指揮ぶりも、リズムをとるでなし、指揮棒を軽く手元で振るだけで指揮になっていない。各パートの出だしの合図をするぐらいしか役立っていないような指揮でした(曲がすすむにつれ、すこしずつ気力をとりもどしているようではありましたが)。演奏終了後は、壇からおろしてもらったものの、下半身を動かすことができず、ピアノの小山実雅恵だけが出たり入ったりして拍手に答え、最後は小山実雅恵に手をひいてもらって退場するありさま。

休憩時間15分しかないので、ほんとに大丈夫だろうかと思っていましたが、時間どおり後半のチャイコの5番交響曲に出てきました。ステージの脇までは介添えつきで、指揮台に上るについても、コンマスと第一チェロ奏者の手助けがないと上れないという状態。 こちらの方の指揮は前半と比べるとかなり元気ではありましたが、なお手を小さく振る程度。 終了後にコントラバスの横を通りかかった際にコントラバスに向かって「見えたか?」といっているみたいでした(唇を読んだだけ)。 ただ、いつもの恒例の、譜面の該当頁を見失うことによる、頁めくりは常時あり。 終了後はもう段から降りることもできず、コンマスと第一チェロ奏者に助けてもらってやっと降りることができ、近づいてきた先頭の奏者と握手の後、コンマスの合図で出てきた介添えに肩を抱えるようにしてもらって、すり足でやっと退場しました。 楽団員が残っていて拍手が鳴り止まなかったので、ステージマネジャーらしき人が出てきて、もう朝比奈さんは出てこない旨を観客に向かって説明することでようやく本日終了(つまり、自分でオケの解散の合図をしないまま、退場してしまったということ)。退場の際気が付いたのですが、おでこにバンソウコウが張ってあったので、あるいは転んだのかもしれません。

しかし、このような状態であるにもかかわらず、演奏はほんとにすんばらしいものでした。ピアノ協奏曲のオケの伴奏は、まことに趣があって、あのブルーノワルターがホロヴィッツと共演したこの曲の録音のあのオケの演奏を彷彿とするような名演。 5番の方も、オケのすみずみまで、血液が通っているという感じで、楽団員の間で各パートの細部がほかのパートと調和がとれながらナチュラルな感じで聞こえて、以心伝心によるその掛け合いが面白く、少しのたるみもなく、朝比奈の楽譜の読みの深さをよくあらわした演奏、という印象です。

このようなオケの状態から鑑みるに、きっとリハーサルはちゃんとやっていたのではないかという気がします(指揮者が頼りないので、楽団員が頑張らなければならないと思ったことにより良い結果がでたのかもしれませんが)。 そうすると、リハーサルが終了後転んで歩けなくなったのか?? というような推理がはたらきます。 頭はまだしっかりしているみたいですし。

来週火曜日に同じプログラムを大阪のシンフォニーホールでやりますが、そのときどうなっているか、心配です(キャンセルして少し休むべきではないかと思うのですが)。 暇をもてあましている方や物好きな方は、大阪まで聞きに行った方がいいかもしれませんよ。

T.T.

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ここにもあるように、大阪での演奏会が予定されており、私は、ホールに行ったのだが、当然キャンセル。ただ、代役井上道義は、朝比奈さん元気です。大事をとって入院しています。というコメントだった。

それ以降の朝比奈情報は、ご存知のとおり、大本営発表だったわけで、12月になくなってしまったのである。

この名古屋の演奏会にいけなくて本当に残念だったが、ここにCDが残されている。

本当に熱い演奏で、音だけだと、朝比奈さんの不調ぶりがわからない。

一般発売はされていないが、あまりにいたいたしいからなのだろうか。

このときばかりは、団員もこれで、最後だと悟って演奏した、ということが、あとになって語られている。

追悼文集

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【書評】中丸美繪著 オーケストラ、それは我なり―朝比奈隆 四つの試練

ちょっと前に出版された、朝比奈隆の評伝。中丸美繪著。独自の視点から書かれたユニークな朝比奈伝であり、なかなか読み応えのある本である。

いままで出たものとはかなり視点がちがっており、人間朝比奈隆のさまざまな面を描いている。とくに、4つの試練という章立てで、各時期のいろいろな試練を、かなり冷静な目で見ている。本人を含め、たくさんの人のインタビューにもとづいて、書かれている。

いままでの、朝比奈シンパの書いたものと違う点は、かなり人間として負の部分に言及していることが特徴である。何か非常に暗いトーンの文章だが、一気に読んでしまう。

まず出生の秘密や幼児体験。出生については、朝比奈本人が、日経新聞の私の履歴書で書いているものしか知られていないと思うが、実の両親についてはじめて言及されている。朝比奈の親が、実の親でないことを知ったところなどは、私の履歴書にも出てくるが、それ以上は出てきていなかった。これが、音楽家になるいとつの原因であることを示唆している。

大学時代の話についても、初めて書かれたものだと思う。メッテル先生は、世界的に見ても超大物だったようなのだが、その点については、最近はけっこうあちこちで述べられている。当時、日本には、戦争のために、他にもクロイツァーをはじめ、大家が来ている。これは別に日本だけの話ではなく、多くのユダヤ人音楽家が、アメリカに移っているのも戦争のためである。ブルーノ・ワルターしかり。だから、メッテルに音楽を叩き込まれたというのは、実は、相当レベルが高い音楽教育を受けているということなのである。ただ、物理的なテクニックについては別かもしれない。

上海、ハルピンについては、最近いくらかの資料が出てきている。また
関西交響楽団の設立、大フィル設立の経緯等も、大阪ではけっこう知られていることかもしれない。

最後の大阪フィルの経営問題については、大阪にいる、または縁のある人間で大阪フィルの近くにいた人にとっては、比較的よく知られた事実。その時期、朝比奈さんは、東京での活動があったので、けっこう支えになったのだと思う。大阪と東京では、演奏会の盛り上がり方が違っていた。

朝比奈さんの晩年というのは、その多くが、東京の若者ファンによって支えられているところが多い。彼等は、大阪の苦労した時代のことには、基本的に縁がない。最晩年、大阪でのコンサートも、東京からたくさん聴きにきていた。だから、朝比奈さんの今までの伝記については、ほとんどが、この暗い時期については、あんまり話題にされていないのだろう。

最後の健康問題。はやくから、癌であったという。実は、名古屋公演後入院してしまったときに、公式では元気だということだったが、その当時、大阪で、合唱団メンバーと偶然会って聞いた話では、過労ではなくて、重い病気だということだった。また、私の聴いた最後のブルックナーの9番のときは、もうやせこけていて、衰えが激しかった。最後の名古屋は、友人が行っているが、もう振っている状態ではなかったという。癌については、その後千足氏が、ある本で食道癌で食べることができなくなっていた、と書いていた。

この本、朝比奈芸術は、技術はないが、教養に支えられた、という面を強調している。ただ、音楽的な実際については、そういう話は練習にすることはなくて、きちりと音を音符どおりの長さと強さで出す、ということに終始していた。その姿に教養がにじみ出ているという感じではなかった。

また、オケの音色としては、指揮の技術はともかく、むしろパート譜上に記載された彼独自のボーイングによるところが大きく、そういった面についての記述は、ボーイングの特徴についてはあるのだが、パート譜には言及されていない。彼は、実際の練習の積み重ねをつねにパート譜に反映されているのであって、そういう音楽的な職人芸の積み重ねがある。こういう面は、あんまりこの本には出てこない。

実際、私が学生のときに、朝比奈さんの棒で何度も歌っているのだが、リハーサルのときには、背景の説明なんか聞いたことがなく、ただただ、正確に音を出すことだけだった。ただ、できるまで何度も繰り返し。大フィルの合唱団は、専属団体だったから、朝比奈のおっさんの練習は、なかなかきびしかった。練習ピアニストにも容赦なく要求するものだから、泣き出してしまうこともしばしば。
合唱団の練習は、当初千足氏だったが、この本で千足氏本人が認めているとおり、彼は適任ではなかった。その後、千足氏がドイツに留学し、指導者が変わって大フィル合唱団の実力も向上したのである。

我々音楽ファンとしては、朝比奈さんは、海外でたくさんのオケを指揮し、ベルリンフィルにも登場しているが、最後の方は、二流、三流のオケばかりである。この理由について、かつて大フィルの事務局の人に教えてもらったことがあるが、それについては述べられていない。

だから、この本、人間朝比奈隆評伝である。その意味でとても興味深く呼んだ。
音楽的、技術的なところについては、やはり朝比奈シンパの本もあわせ読むべきであろう。

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